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(公財)京都YWCA

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YWCAについて

京都YWCAの歴史

設立までの道(1918~1922)

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1924年頃の京都YWCAの職員

1918年、第一次世界大戦が終わり、米騒動が起こった年に2人の米国人女性宣教師がYWCA本部から京都に派遣されました。

京都のクリスチャン婦人や女学生たちが参加し、米国人の幹事(職員)たちの働きを得て、次第に日本人の幹事も育っていきます。英語、西洋料理、洋裁、聖書などのクラスが開かれ、女性たちに新しい学びの場を提供しました。1920年に設立委員会が発足し、夫君同伴のパーティや資金集めバザーなど、当時の日本では新鮮な方法によって京都の中に賛同者の輪を広げていきました。

基盤を固めた時代(1923~1935)

1923年3月24日に第一回総会を開き京都YWCAが正式に誕生しました(会員数300)。

同年9月の関東大震災後に避難してきた人々のための救援活動を精力的に行いました。当時も電話交換手、看護婦、事務員、工場労働者などの職業婦人がいましたが、職場における地位が低く、社会における認識や支援もない時代でした。

京都YWCAの活動はいわゆる家庭婦人が中心でしたが、有職婦人部を設けレクリエーション指導などによって働く女性たちを元気づけました。女子学生のための寮を吉田ニ本松に開き、英文タイプライタ科は多くの生徒を集めました。有職会員のための夏の休養所を比叡山山頂に完成させたりもしました。1929年に4回目の移転で現在の室町出水の地に移りました。しかし、満州事変や世界恐慌不況の中、外国人幹事の協力は断たれ、財政難に苦しみ募金に走り回りながらも、会館の所有権を得て1935年財団法人化しました。

戦中の混乱期(1936~1945)

1936年、これまで単科講習式であった教育部の事業を一本にまとめ家庭教育を主眼に置いた「京都女子学院」が設立されました。京都女子学院は前年度からの運動が功を奏し、京都府の私立学校令による認可を得た学校でした。また同年、ヘレン・ケラー女子を京都に迎え、YWCAが中心となり、他の団体と合同で講演会を実施しました。

1944年には9年間小規模ながらも充実した内容の授業を行った京都女子学院が閉鎖され、さらに有職会員のための夏の休養所・比叡山休養所を閉鎖しました。戦時中多くのYWCAが軍などに会館を貸し出す中、京都YWCAも京都府庁に会館を貸し出すことになりました。

戦後の復興に向けて(1945~1950)

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1949年当時のYWCA会館

戦後の大変厳しい状況の中ではありましたが、

京都YWCAは残った建物とともに復興への道のりを歩み始めます。

戦後は婦人相談所、児童相談所、児童図書館など市民のニーズを的確に捉えた事業が行われていきました。

 

1950年の特色あるプログラムのひとつには「服装ショウ」というものがありました。これは戦後の衣料品不足の中、米国から古着が送られてきていましたが、着こなしが難しいため、京都の女性に洋装についての心得を持ってもらおうと、YWCA会員がモデルとなり様々な着こなしを披露するものでした。

働く女性のために(1951~1960)

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ミシンを習う西陣の少女達

1951年から、零細企業の孤独の中で黙々と働く中学新卒業生のための「働く少女のための生活教室」を開始。勉学向上の機会や生き方の可能性、交流の場を提供する目的で、会員の有志がそれぞれの特技を生かして奉仕的に携わりました。

その後、西陣柏野グループが誕生したことで西陣地域に広がっていきました。 1953年にホステル事業を再開し、1955年には『ニュース京都YWCA』を月刊紙として発行しました。

1959年には、「働く女性の生活講座」や有識婦人のパネル協議会を開催しました。

大きく動く(1961~1965)

1961年、西陣労働センター設立への動きと会館増築募金活動が始まりました。また、第39回の年会は西陣織物会館で実施されました。西陣グループの人たちによる草餅やお茶の接待や、西陣勤労少女委員会の紙芝居形式の事業報告があり、地域的色彩豊かなものとなりました。

1964年には、第42回年会とともに、京都YWCA創立40周年(1962)を祝い、40年史の「古都に咲いて40年」が発行されました。 憲法を「学ぶ」ことから、「生活の中に活かす」ために、月刊ニュースに入れるキットの作成やプログラム実施などに取り組みました。

新会館の建設(1966~1970)

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新会館着工(くわ入式)

「日赤の看護婦寮とタイアップして会館を建てるという話があるがどんなものだろう」

1966年度は会長のこの言葉で幕が開けました。改修を要望する声は1950年代から上がっており、40周年を迎えた1963年から改修積立が行われていました。

1885年にロンドンで誕生したYWCAも当初は看護婦寮だったこともあり、この提案は好意的に受け止められ、臨時総会で承認されました。

その後募金委員会は、会債発行や寄付の呼びかけに奔走することになります。当時の委員長は、自家用車に箱を置き、同乗者に募金をお願いするといった力の入れようでした。このような会員の力が結実し、1967年4月、新会館が完成しました。

憲法を生活の中に(1966~1970)

1969年に設置された教養大学の活動が根付き、憲法、平和問題、年金、婦人の地位、家庭と職業等に関する研究会が頻繁に開催されました。1972年には、ボランティアスクールを開設。

ボランティア活動とは、決して福祉政策の欠陥を補う慈善的なものではなく、日常生活に潜む問題に目をむけ、一人ひとりの権利が守られる世界を創りだすという意義があることが伝えられました。

現在の活動の基礎を築く(1976~1990)

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スリフトショップの準備

1975年に京都国際学校PTAより引き継がれたスリフトショップ(リサイクルセール)がテレビ取材を受けるなど、画期的なシステムとして日本社会に受け入れられました。当初は食品販売が主でしたが、次第に洋服・雑貨などの扱いが増え、今日も続く活動となります。

1970年代半ばから男性も加わった青少年活動が活発になり、キャンプなどの野外活動を通した若者のリーダーシップ養成が推進されました。1982年には名称を「中高部」から「ティーンズ」に改め、病院や施設の訪問、海外ワークキャンプ参加、他市YWCAや米国の大学との交流プログラムなどの青少年活動が1990年まで続きました。これらに参加した若者が後のYWCA活動の担い手に成長していきました。

1987年には、日本で働く出稼ぎアジア人女性の人権問題に取り組むグループAWT(Asian Women Together)が誕生しました。これが発展して滞日外国人のための多言語電話相談APT(Asian People Together)が1991年に開始され、今日まで続いています。

1989年に国際交流グループが発足し、留学生などを対象とした文化交流プログラムが行われるようになり、現在のボランティア日本語教師による「にほんご教室―洛楽」もここから誕生しました。

1993年には米国から帰国した会員をコーディネータとする青少年エイズ教育が展開され、1994~1997年の間「若者・女性とHIV/AIDSプロジェクト」(通称PAN)としてHIVに関する電話相談やさまざまな啓蒙活動を実施しました。

洛西センター“じゃむじゃむ”(1991~2001)

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「じゃむじゃむ」でのプログラム

1981年より西京区洛西地域の学校や教会などを借りて地域の母親・子どもたちとの活動が始まっていました。

1991年には、110年前に建てられたという民家の一部を活動の拠点とし、念願の洛西センター“じゃむじゃむ”が生まれました。

2001年まで「命を育み平和を創り出す」をテーマにバザーや手作り市、子どもプログラム、トーク喫茶などのプログラムを展開、洛西の地で人々のネットワークを築きました。

揺れ動いた社会とピースアクション(2000~2006)

新しい世紀に入り、2001年9月1日アメリカで起きた同時多発テロ事件から10日後、京都YWCAで「平和のためのちいさな祈りの会」が持たれたことを契機に、市民パレードを主催しました。

その後「武力で平和はつくれない」のメッセージを掲げて街頭活動やサイレントアピールを行ったり、「靖国問題」「新しい歴史教科書」などについての学習会を開催するなど、平和行動を積極的に行いました。

公益法人制度改革と中長期ビジョン・プロジェクト(2007~2012)

政府による戦後の諸制度の見直しが進められる中、京都YWCAも組織の見直しと、将来を展望し社会のニーズに合った事業について検討する作業を進めました。
 京都YWCAは、1943年以来「京都基督教女子青年会維持財団」が財産を管理運営し、任意団体としての「京都YWCA」が会員活動を担う形をとってきましたが、2007年5月に事業と活動を統合する「財団法人京都YWCA」となりました。

2012年には新法に基づく「一般財団法人」に移行。2009年より中長期ビジョン・プロジェクトを立ち上げて、建物改修や新事業のプラン作りに取り組みました。

大規模改修と「多世代・多文化ふれあいコミュニティづくり」開始(2013~2016)

2013年設立90周年を祝う会にて、「多世代・多文化ふれあいコミュニティ」というコンセプトによる建物改修および新事業計画を発表しました。 2014年には京都府から公益認定を受け、2014年8月1日付で京都YWCAは「公益財団法人 京都YWCA」となりました。


 新事業計画は、2013年度国土交通省の「高齢者・障害者・子育て世帯居住安定化推進事業<先導的事業>」に選定されました。2014年3月よりサマリア館と本館の改修工事を開始して8月に終了し、9月よりサービス付き高齢者向け住宅「サラーム」とふれあいの居場所食堂「うららかふぇ」を、2015年4月には自立援助ホーム「カルーナ」をスタートさせました。


 京都YWCAは現在、これら新事業と従来の事業・活動と組み合わせて、子どもから高齢者まで、さらには多様な文化的背景の人々が交流し協働する「多世代・多文化ふれあいコミュニティづくり」に取り組んでいます(トップページの動画・事業報告を参照ください)

「京都YWCAあじさい保育園」の開園(2017-2020)

女性の社会参画への要請が高まる中、京都市でも待機児童問題解消のために上京区に保育園の開設が求められていました。保育園事業は「女性と子どものエンパワメント」をめざす京都がこれまでの経験を活かして女性と子どもの育ちを支援できる事業であるという確信を得て、2018年より準備にとりかかりました。

ホールを解体して敷地内に園舎を建設し 2020年3月竣工、新型コロナウィルス流行という災禍に見舞われた中でも、2020年4月に「京都YWCAあじさい保育園」(定員60名)を開園しました。

2023年に京都YWCAは100周年を迎えました(2021~2023)

2020年に100周年記念実行委員会が設置され、100周年に向けてさまざまな記念プログラムが実施されました。2021年から5回シリーズで、「京都YWCAの100年の歴史を振り返る」会を開きました。

100周年記念バナー

2022年7月に記念講演会「W・M・ヴォーリズの業績と建築~京都YWCAサマリア館に見るその魅力~」を開催し、2022年と2023年にサマリア館補修のためのクラウドファンディングを実施しました。

2023年9月23日に多数の方にご参加いただき、記念式典を執り行いました。10月に記念旅行として釧路YWCAを訪問、また2024年1月には記念公開シンポジウムとして、「排除無く、誰もが花咲く社会~多世代・多文化ふれあいコミュニティの実現~」と題し、福寿満希さん(株式会社LORANS. -ローランズ-代表取締役)に基調講演をお願いし、生きづらさを抱える若者や外国人支援やユースの活動に関わる会員5人がパネルディスカッションを行いました。また、100周年記念誌『古都に咲いて100年』を上梓しました。そのほか8回にわたり行われたプロギング(ウォーキングとゴミ拾い)は毎回好評でした。

2021年4月から2024年3月まで行われた100周年記念募金は目標(1000万円)を達成し、サマリア館補修、次世代育成、保育環境向上などに充てることができました。

京都YWCAのあゆみ

1923

3月、京都YWCA発足。関東大震災避難者の救援活動を精力的に行う。

1936

家庭教育を主眼に置いた「京都女子学院」設立。

1948

婦人法律相談所、児童相談所を開設。

1951

零細企業で働く「少女のための生活教室」開始。

1961

西陣で働く少女のための西陣労働センター設立へ。

1975

スリフトショップ(リサイクルセール)開始。

 

野外活動を通した若者のリーダーシップ養成を推進。

1989

国際交流グループが誕生し、のちのボランティア日本語教師による「にほんご教室 洛楽」(1996)につながる

1991

外国人のための電話相談を開設(APT: Asian People Together)。

1993

HIVに関する電話相談、啓蒙活動、配食サービス「若者・女性とHIV/AIDSプロジェクト」(PAN)開始。

2013

国土交通省「高齢者・障害者・子育て世帯居住安定化推進事業<先導的事業>」に選定される。

2014

 

サービス付き高齢者向け住宅「サラーム」開始。

ふれあいの居場所食堂「うららかふぇ」開始。

2015

自立援助ホーム「カルーナ」開所。

2020

京都市認可保育所「あじさい保育園」を開園。

2023

100周年を迎える。

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